もなかsizeがちょうどいい。

~*結婚生活も子育ても我慢しない*~

⑤【プチ鬱】働くことが好き?!人と繋がる世界が実は好きだったかもしれない、プチ鬱になって気づいたこと。

お久しぶりの【プチ鬱】シリーズです(*^^)v

毎話長いですが、ご興味のある方はお時間のある時にどうぞ。。

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心療内科を受診するも、鬱という診断はされませんでした。

病気ではない、とするとこの辛い状態は一体何?という不安な気持ちと、立ち止まる時間はもうそろそろ終わりなのかもというやや前向きな気持ちが二つ並んで待っていました。

ヨガは体調と気分次第で行けたり行けなかったりな日々でしたが、それでもヨガを教えて下さるSさんや仲良くして下さる同じクラスの先輩方(皆さん10年ぐらい続けてる)とのランチや夜鍋はとても楽しくて。

自分を失った様な暗い生活に唯一、色をつけてくれる。そんな時間でもあったと思います。

 

もがき苦しみながらもどうやって鬱抜けし、今ある幸せな暮らしを手に入れることができたのか・・・。

今振り返ればちょっと笑える夫婦の話、『プチ鬱もなかHISTORY』をどうぞお楽しみくださいませ♪( *´艸`)

注)自分は鬱だと思い夫の勧めもあって心療内科を2件受診しましたが、医師から鬱ではない&治療も要らないよと言われたので、ここでは敢えて"プチ鬱"と表現しています。

 

*プチ鬱もなかHISTORY①*

*プチ鬱もなかHISTORY②*

*プチ鬱もなかHISTORY③*

*プチ鬱もなかHISTORY④*

 

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あらゆる世界を知ること。

初めて社会を知った21歳の頃の話

私は3年制の看護専門学校に通い、看護師資格を21歳で取得した後、そのまま第一希望の公立病院に就職しました。

そして内科病棟に配属され、そこで約5年間働きました。

不器用で容量の悪い私。その上感情を表に出さない性質だったので先輩方を非常に悩ませてしまったようで、、、。

私自身はもうどうしようとテンパっているのだけど、言葉が出ないしどう伝えればいいのかも分からない。

その態度がどうやら「反省していない」とか、「患者の命をどう捉えているのか」とか、「何を考えているのか分からない」とか・・・1年目は私を囲んで師長さんと主任、そして運悪く指導係に当たってしまった先輩方との、題して"ポンコツ新人もなかをこれからどう扱っていく?会議"が定期開催されていました。汗

同期仲間は2ヵ月で退職、新人は私ひとりになり、益々周囲の目はキラリと光る。

深夜勤務も本当なら看護師2人体制のところを、私にはまだ無理だと、もう一チームのスタッフにも負担をかけてしまう、という理由で、決まって看護師が3人体制の救急指定日に入っていました。

割と小規模な地域密着型の病院でしたので、救急といってもほぼ夜間入院は無く、今思えば私はとても手厚い看護指導をして頂いていたんだと思います。

他チームの中にはちょっぴりきつい先輩も居ましたが、何故かその先輩と夜勤を組むことが多く、シーンと静まり返るナースステーションでの恋愛話や4時頃に奥の休憩室で朝食を摂る時間が、段々と楽しく感じるようになり、2年目になると、その先輩はきついどころか何で私にだけ優しいの?と怖くなるほどに態度は一変。

1年でこんな変わる??ってぐらい周囲の目も表情も声も変わっていったことがとても不思議でなりませんでした。

 

当時の私は自分の受け持ち患者さんに必要な点滴・薬の管理、カテ出し、全身清拭、陰部洗浄、オムツ交換、シーツ交換、褥瘡処置、体位交換、食事介助、入退院の準備、その他もろもろを抜けなく行うことだけで必死な毎日でしたが、それでも誇りに思える職業だなとは常々感じていました。

 

働くことが楽しいと思えた新人時代

やがて仲の良い後輩(10歳年上だけど)もでき、年齢の近い先輩とは緊張せず話すこともできるように。

看護師という職業にもちょっとずつ慣れてきて、大きなミスはしないようになっていました。

私が働いていた内科病棟は高齢患者さんがほとんどで、半分以上は介助を要す方たちでした。

高齢ですので、認知症の患者さんも必然的に多くなるわけで、3年目?辺りで衝撃的な事件にも何度か遭遇しましたよ。

 

『事件簿その1』 

個室に小柄で可愛らしいおばちゃんが入院していました。

昼間は息子さんが付き添っておられて、その患者さんはいつもニコニコ。

その日も朝一に挨拶をしに伺った時はとても優しい笑顔で対応してくれて。

その後も血圧測定や清拭のために何回か顔を合わせ、毎回おばあちゃんはニコニコ対応。

すっかり心癒されていた私は明らかに自分の危険感知システムをいつの間にか制止していました。

そしてもはや忘れていたのです、その患者さんが認知症であるということを!(*´Д`)

午後一で点滴を行う為部屋を訪問した私は、相変わらずのその温かな笑顔に笑顔で返した後、「今から点滴させて頂きますね~(^^)」と声をかけ、足首辺りに入っていた点滴用のサーフローを探そうと患者さんの足にそっと触れたんです。

途端、バッチン!!

「ひぃ!痛っ!!!!!」(ノД`)・゜・。 

私、思わず声が出てしまいました。

そう、そのおばあちゃんに思いっきりビンタされたのです。笑

本人様はただ足を触られて不快だった、もしくは難聴だったので私の声が届いていなかったのかもしれません。

息子さんは慌てて謝罪の言葉を下さいました。

私はというと、まだ若かったし、突然不意打ちでビンタされるなんて経験はなかったので(容赦なくかなり痛かった)、部屋を出たあと半ベソ状態で師長に報告しました。笑

 

『事件簿その2』

もうひとつは、忘れもしない夜勤帯での出来事でした。

その日は割と落ち着いていて、ナースステーションでカルテチェックしながらベテランの先輩と談笑していました。小声でね。

巡回時間になったので、私達はそれぞれ自分の受け持ち部屋を見回ろうと二手に分かれました。

深夜帯は廊下も薄暗く、患者さんの部屋も消灯していて真っ暗なので、懐中電灯を持って2時間毎に巡回をします。

私はまたもや認知症の患者さんを受け持っていました。

というかいつも数人は必ずいらっしゃいました。

個室→大部屋の順に巡回していき、認知症の患者さんの部屋に入りました。

入眠中の患者さんらを一人ひとり観察、この時決して顔を照らしてはいけません。(←誰がアンタみたいに思いっきり顔照らして先輩に怒られるねん!)

すると、、あれっ?その方が見当たりません。

廊下側のベッドに寝ているはずの患者さんが居ないのです。

「トイレは一人で行けない方やし、どこに行っちゃった??(;O;)」

ナースステーションに急いで戻り、もう巡回を終えていた先輩にすぐ報告。

そして二人でもう一度患者さんの部屋に向かいました。

部屋に足を踏み入れベッド周囲を見渡した瞬間、 

「ギャーー!!!!!」と先輩が悲鳴を上げたのです。

あのいつも冷静沈着で知性溢れるクールビューティーな先輩が・・・。

なんと、行方不明になっていた患者さんがベッドと棚の間に挟まって立っていたのです。爆

それも声を出さずただ静かに真顔で。

看護師さんの皆さん、これあるあるですか???

 

こんな感じに『今だから笑える看護師事件簿』的なネタはまだまだあります。

でも、嫌なことも辛いことも全部含め楽しかったなぁ♪と思いますね。

 

外界との繋がりと生活リズムの重要性

21歳から結婚するまでいくつか職場を変えたものの、職種は変わらずずっと看護師。

結婚して数ヵ月だけ働いたところでも職種は変わらず看護師でした。

プチ鬱になって、心療内科を受診し、そろそろまた歩いてみようと思った時、正直看護師での復帰は無理だと思いました。

他職種ならイケる、出来ると思ったわけでは決してありませんよ!

ただ、まだ怖かったんです。

今の私に看護業務を抜けなくこなすことって出来るのか、以前のように患者さんと上手に関わりを持てるのか、何より、朝起きれるのか。というレベルだったのです。笑

当時は毎日とにかく全身倦怠感があり、頭も体も重い。

食欲もぼちぼちという感じでしたし。

「笑顔で元気に患者さんに寄り添いたい」それが私の看護師モットーでもあったので。

そこでふっと思いついたのが興味のあったカフェやファッション関係のアルバイトでした。

前のような看護師正社員は絶対に無理、だったらやってみたかったアルバイトから始めてみようと思い、早速一人で職安へGO!

そこでラッキーな案件に出逢えたのです♬

 

それは超有名なあのプチプラファッションブランド、UNI☆LOの短期アルバイト!

元々私は服やコーディネートが好きで、昔からよく褒めて頂くことも多かったので、少しだけ「私ってもしかしてセンスある?ぐふッ( *´艸`)」なんて思ってみたりもしていて。

多分とんだ勘違い野郎ですが(笑)、それでも単純に好きな服に関連した仕事をしてみたかったのです。

今なら何でも当たって砕けろ!もう既に一回砕けたし!みたいな感覚です。

条件も私にピッタリでした。

  • 3ヵ月の短期アルバイト。
  • 掃除・裏方作業、レジ打ち・接客なし。
  • 服が好きな方。
  • 時給〇〇円。(忘れたけどまぁまぁ良かった気がする)

接客もしてみたかったですがきらきら笑顔なんて当時の私には作れなかったですし、裏方作業の方が断然したいと思っていたので、ドンピシャでした。

 

緊張の面持ちで面接を受け、当日合格。

勤務時間は8時~11時だったかな?主にお店オープン前までの準備に追われて帰るといった流れでした。

お店周辺のごみ拾いから始まり、トイレ掃除、店内の埃取り、大きな窓とミラーの拭き掃除、それから入り口にあるUNI☆LOマークの旗を上げたりもしました。

それらが終わればあとは勤務時間ギリギリまでひたすら目玉商品とスカスカに空いた人気商品をリーダーの指示通りに出して並べて吊るして、の繰り返しです。

まるで看護師とは縁遠い業務内容で、何もかもが新鮮でドキドキの毎日でした。

アラサーでも真っさらな気持ちでまた仕事ができることが嬉しかったです。

 

裏方以外のスタッフは、接客、レジ打ち、寸法お直し、などがあったと思いますが、毎日担当係は違っていました。

そんな大変な業務を、ひと回りも下の若い子達が必死に汗水もたらしてこなしていく姿は、とても刺激的で。。そして嘘無しに眩し過ぎました。シミしわひとつないピチピチお肌も眩し過ぎた(+_+)

 

 

朝起きて働いて食べて寝る。

そうやって生活リズムが徐々に正され、私もやっと生きた心地がするようになってきました。

夫以外の人間と顔を合わす、挨拶を交わす、会話する、笑う。

それがほんの数分であっても、あぁ生きてる、楽しいかも、と思えたんですよね。

 

休憩しながら一歩ずつ、一歩ずつ。

心療内科受診、ヨガ、UNI☆LOさんでの短期アルバイト。

自分だけ、もしくは夫婦二人だけの世界に引きこもるより、外の世界と繋がることで、私はどんどん浄化されていった気がします。

落ち込んで体も心も疲れ切ってしまうと、本当に外と繋がることがしんどくて、誰のことも受け入れずに一人の世界に籠ってしまう。

その方が楽だと感じるからです。

でも、実は独りぼっちの世界の方がしんどいです。

私の場合は有り難いことに夫が居てくれました、少し離れた所には家族や友人が、そしてもっと遠くにはUNI☆LOさんの仲間が居てくれました。(3ヵ月だけでしたが勝手に自分は仲間意識が芽生えていました)

 

立ち止まってもいい、しばらく休憩してもいい、そろそろ行けそうかなぁと思った時、一歩踏み出してみると案外進めるもの。

必ず前に歩けば先に道がいくつかあって自由に世界を選べるのです。

好きな気持ちを閉じ込めないでちょっとだけ勇気を出して挑戦すること。

失敗しても、ひとつは何か得られるものがあればラッキーだ、私はプチ鬱を体験してからそう思えるようになりました。

未知の世界に踏み込むことが怖くて苦手で嫌いだった私は、今まであまり失敗せずに生きてこれました。

その分とても狭い世界で生きていたので知らないことも多く、偏った考え方しか出来ない人でした。

でも、未知の世界だった『プチ鬱』を体験して一度自分を見失ったことで、あらゆる角度から他人のことも自分自身のことも見られるようになったかなぁと思います。

 

 

 <次回予告>

未知の世界を色々と体験し、ようやく前向きに歩ける気がしてきたもなか。

3か月間のアルバイトを無事休むことなく働ききり、僅かな自信も取り戻したもなかは、パートでの看護師復帰を目指して再び職安へ。

ところが・・・???

 

 

**********

現在夫のKYな言動はほぼ見られず、元カノ話も封印されています。笑

趣味は相変わらず色々と楽しんでいますが、ゲーム時間は減って一緒にTVを観る時間も格段に増えました。

私はというと、孤独感を感じることはまるで無くなり、田舎暮らしに対する拒絶感も弱くなってきていて、楽しむ余裕も若干出てきています。(夢のマイホームでの暮らしは何処でするのか未定だけど、喧嘩の原因にはならなくなった)

今は自分のことより息子優先なところが多々ありますが、息子が成人した後の第二、第三の人生もまた楽しみで仕方ありません。勿論シングルじゃなく夫婦前提としてですよ!笑

私が変わったのか、夫が変わってくれたのか、どちらも少しずつ変わっていったのか。

なにわともあれ、お互いを思いやる気持ちだけは忘れずに、年々夫婦間の絆が強くなっているように感じます。

昔も今も、「お似合いだね」「本当に仲良しだね」などとよく言ってもらえる私達ですが、過去にはこんなにもぶつかって、色々学んで、今も好きでいる努力をして、そんな小さな積み重ねが今の暮らしに繋がっていることを忘れずにいたいです。

 

Q:『夫婦とは?』
A:『どんな時も諦めず、同じベクトルを持って、生涯を共にするための努力ができる、最愛のどうし(同士・同志)である。』by一口もなか

 

 

  

 

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